Grafting 接ぎ木 アーティストトーク第2回 各作家の作品について

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第2回 各作家の作品について

鈴木(雅):
このまま続けて、僕の展示作品の話をさせていただきたいと思います。
展示作品の話をする間に、前回の瀬戸展をご覧になってない方がほとんどだと思うので、
瀬戸展の画像も流しながらお話していきたいと思います。

(撮影:藤井昌美)
これが前回の瀬戸展での僕の展示スペースで、左は鈴木悠哉君です。

また今回札幌で展示している作品は、
入って正面の黒い2点、そこから向かって左側1点、2点、の5点になります。

(撮影:我妻直樹)
瀬戸展のときに出展していた作品もあるんですけど、半分くらいは新作で、構成しています。
基本的に、現実にあるものを描く、ということで作品を作ってきました。

描かれているイメージの状況を、実際にモチーフを組むように卓上に設定をして、
その状態を写真に撮って、それを元に、描き写すような感覚に近い状況で絵を描いています。
イメージは、自分の生活の中で起こった違和感を感じる瞬間から着想しています。

今回出展している作品に関しては、自分のスタジオにある、紙の切れ端とか、紐とか、
それを見たときに自分が感じた異物感とか違和感が元になっています。

実際に作品の中では、合板とかを机の上において、そこに色画用紙を切って作った紙片を貼り付けて、その状態を描く、ということで、単純に絵として絵の具で塗られた色の面と、中に実際に存在している四角い色面が両方とも存在している、どっちつかずの状態というのが、自分が持った違和感に近いと感じていて、今回そういう作品を出品しています。

僕の制作というのは、イメージを描き写していく、ということでその過程プロセスで自分が何かを考えたり掴んでいたりするのかな、と思っていて、単純に出来上がるイメージというのは、実際と大きく変わるわけではないんですね。ただ描くことでそこを考えていきたいというか、自分が感じた違和感というものがどういうもので、どこにあるのか、ということに少しでも近づきたいということで、描くことでその違和感を考えている、というような状況があるかな、というふうに思っています。

描き写していくので、その時間というのが大事なのかな、と思っていて、僕はキャンバスに油彩で描いているんですけど、油絵って乾くのに時間がかかったりするんですけど、その分ゆっくりとした時間の中で描いていける、というのがあって、自分で油彩を選んでいるのかな、と最近思っています。

かなり簡単ですが、作品を説明させていただきました。
ここで拝戸さんに僕の作品について質問などをいただければな、と思います。

拝戸:
瀬戸で出品された作品は、今見ている作品なんですけど、

(撮影:藤井昌美)

今回は黒い背景の2点、

 

(撮影:我妻直樹)

これは今回の瀬戸から札幌へのバージョンの変化だと思うんですけど、
どういう心境の変化があったのかを説明してください。

鈴木(雅):
はい。前回は机の上に置かれて、台とか壁とかに立てかけられていた状態を描いているというのが見ている方にわかるような状況で、モチーフを組んでました。

今回も、台の上でモチーフを組んでいるのは変わらないんですけど、黒い2点は後ろの壁を入れていない、
台の上だけを切り取っている、よりシンプルになったことで、台の上の状況、実際に置いてある線、紐なんですけど、モチーフじゃなく、周りの状況、ここに光が差していて、ここに影が落ちていて、という状況を前に出したくて、壁がない状態、ただ机の上に紐が置いてある、という状況を設定しました。

拝戸:
そうすると空間が少し失われて、よりシンプルに、線と影、かすかな影の中でつくられる、より絵の基本的な要素だけが現れてくる、みたいな形になったのかな。

鈴木(雅):
はい、そうですね。
じゃ、次は加藤さん、今回の出品作品中心にお話をお願いします。

加藤:
加藤巧です。

北海道初めてなので、ほとんど全員初めてお会いすると思うので、
作品の説明をするまえに「何をしている人なのか」、自己紹介をさせていただきます。

僕も所謂絵画という領域に近いところの仕事をしていると思うんですけど、
皆さんが「絵を描く」というときに使うものをイメージするとしたら、お店でチューブに入った絵の具や筆が売っていて、それらを色々揃えて、描いたり、とか。
ちっちゃいときなら、クレヨンとか、柔らかくて使い易いものを、使って描いたりとか。
そういうようなことをイメージされるかな、と思います。「絵を描く」というときの道具とか、環境、ですね。

基本的に僕は、チューブの絵具は使わないんです。
チューブの絵具の中にも入っている、色素を持った粉の状態のものがあるんですね、「顔料」っていうんですけど。
顔料を糊みたいなもので、どこかにくっつけられるように練り合わせたら、それが「絵具」の状態になる、と。アラビアゴムで顔料をくっつけるのは水彩絵の具だし、油で練れば油絵の具、アクリル樹脂で練って、アクリルが固まってくっつくものがアクリル絵の具。基本的にはそういうものなんですけど、昔はみんな工房で絵の具を作っていたんですよね。今みたいに工場とかないし、流通コストが高いし。
「絵を描く」というのは、道具を揃えたりとか、環境整えたりとか、絵具を作ったりするとこから始まる。そういうことを未だに考えてる、というスタンスでやっています。

昔はなかった便利なものは使わない、ということではなく、
最近出てきてる樹脂とか、新しい材料とか、または自分が現代において置かれている環境などということを、昔からのやり方から、今の状況まで繋げて考えることで、まるっと考えることができるんですよね。人間の関わり方と、その取り巻く環境は材料を切り口にして考えることができると思っています。

端的に、新しい材料があったらそこから新しい視覚のあり方を考えられるし、旧いと思われている方法が現代において有効になることもあって、そのような往復からいまできる制作というのを考えています。

そんなようなことをしつつ、去年はロンドンに行って、修復系の研修を受けたりしながら、そちらで使われている材料を触ったりしている記録集があったりします。五百円です。残部僅少。早いもん勝ち(笑)。

作品の話に移りますけど、今回の作品は、モチーフが『「作る」というのはどういうことなんですか?』ということです。モチーフって、一般には対象を設定して対象を描く(例えば「花を描く」、など)、というのが考えやすいと思うんですけど、僕のモチーフは「行為そのもの」です。

例えば、「描く」というのは「行為」ですよね、「動詞」。ものを作るうえで関わってくる原初的な行為、「握る」、「叩く」…そういう「行為」をモチーフにします。今回の作品で特に取り組んでいることは、人がどこかに「痕をつける」、「なすりつけ」とも言ってますが、例えば柔らい場所に痕がついていて、「これ人が触ったよね」と、他の人間が見て、分かる。何か別の個体の存在が感じられて、情報を汲み取る。それが「作る」とか「伝える」ってことの根源的な、原初的な行為の一つであるだろうと。そこを詳しく見てみたい。

「なすりつけ」を自分で作って、そのなすりつけた力の方向とか、配分とか、こう配ー高さと低さとかー、そういうところに合わせて、顔料(=色の粉)を定着させていく、というやり方をすることで、結果としてなにかレリーフ状の半立体のものができる、ということになってます。
で、それらに「macaroni」ていうタイトルをつけています。マカロニというと、「食べるマカロニ?」と想像されるかもしれませんが、マカロニって、元々イタリア語の「小麦粉に水とかを入れて練る、捏ねる」という意味の言葉からきている、だとか、さらには元々ラテン語で同様に「マッコ」ていう言葉があって、そういうのから来ているという説があるそうです。捏ねたり作る、っていう。

僕、一昨日に、フゴッペ洞窟に行ってきたんですよ(※北海道余市市にある続縄文時代の刻画の保存されている洞窟)。すっごい楽しかったんですけど。それよりもっと、何千年も前にヨーロッパで作られていた洞窟壁画の、アルタミラとかラスコーとか、そういう洞窟に、手でなすりつけた跡ってあるんですよね。アンリ・ブルイユ、というフランスの考古学者の人がいるんですけど、その人が洞窟内の「なすりつけ」のことを「マカロニ」と呼んでいる。壁画用語みたいなものですね。

それはとても昔の話なんですが、今やいろんな新しい材料が出てきたり、環境が変わってるけど、いまだに人間は「なすりつけ」て、痕を残したりし続けている。ペンの先っちょで字を書いたり、というように。そんな「痕を残す」ことを観察することをモチーフに、材料を検討しながら変化させると別の状態ができあがる。「なすりつけ」の系譜を今もなお考えることができるんじゃないだろうかと、取り組んでいるものが今展示されている作品です。

瀬戸展のときは、「なすりつけ」という行為それ自体が薄い平面の幅の中で行われていて、「なすりつけ自体」が壁にぺたっと貼り付けられているようなディスプレイをしたんですが、

(撮影:藤井昌美)

今回はそれらをもっと立体状に立ち上げたものを作ったりしていて、その上に「なすりつけ」をすると行為の状態が変わる、そして観察できる行為のあり方が変わる。そのようなところから、「痕をつける」ということを起点に「つくること全般」に広げて考えていきたいという意識から作られたものを展示しています。


(撮影:我妻直樹)

スタジオで現在進行形で考えていることをそれをそのまま持ってきてここで見せている、という状態になっています。

鈴木(雅):
はい、ありがとうございます。
加藤くんの展示作品も、本人からも説明ありましたが、今回も瀬戸展の時のような形式のも出されているんですけど、
これに加えたような展開の作品も今回出品されている、というかたちですよね。

加藤:
そうですね、瀬戸と一緒の作品が一個もないですね。

鈴木(雅):
あ、そっかそっか。

加藤:
巡回のくせに、全部新作で。でもまあ、共通性をもって考えているので、(瀬戸のシリーズから)地続きで考えてきた、フォーム違いのものを持ってきて、もう少し考えたい、というところでやってます。

拝戸:
今回全くの新作というか、半年前に行われた瀬戸展から、進化というか今本当にやろうとしていることをここで見せているってこと?

加藤:
そうですね。

鈴木(雅):
じゃ、次は鈴木悠哉さん、お願いします。

鈴木(悠):
鈴木悠哉です。

自分は基本的に、ここにあるようにドローイングを中心に制作を進めています。

(撮影:我妻直樹)

そのドローイングも、ずっと一箇所でスタジオにこもってやっているわけではなくて、
割と都市間を移動しながら、どんどんドローイングを作っていくという方法をとっていて、今やっているドローイングのシリーズは、都市、街の風景や環境とかを観察して、写真とかそういうものを使って最初にリサーチをして、街の要素から形とか色もそうなんですけど、そういうものを抽出して、こういうような、そこにあるようなドローイングをどんどん作っていく、ということをやっています。
結構プロセスを決めていて、最近は東アジアとかの都市が多いんですけど、普通の、よく見るような都市の一部を撮って、その一部、形とかを抽出してそれをドローイングをまず作るというところをやって、

そこからさらに立体化したり、ペインティングとか、壁画とか、映像などに変換していって、最終的にインスタレーションを作る、というところまで、今やっています。
参考例というかわかりやすい例を、資料があったのでみせます。


(撮影: 鈴木悠哉)
ボックスとかが無造作に街に置いてあったりとか、そこに住む人が無造作に結んだテープの形とか、割と細かい部分なんですけど、住人の無意識にやっちゃってる造形行為のところとか。後は自然の風化によって色が変わっちゃって、また別の物体のようなものが街に存在しちゃってる状態とか、そういうところに目が行くんですけど、そういう街の機能とか意味とかからかけ離れたものからドローイングに抽出しやすいっていうことがありまして、そういう部分に着目しています。こういう壁のシミとか、シミの形とか、今回そこに出した立体も、壁のシミとか汚れとか、そういうものから形を抽出して、作っています。

そのままやっているものもあったり、抽象化してやったりとか、抽象の仕方はいろんなやりかたがあります。
写真ていうのが軸になっていて、iPhoneで撮ったりとかスナップ写真を元にやってるんですけど、後はフィルムで撮ったり、いろいろカメラも変えてやってます。

こういうふうに、一回パソコンに取り込んで、とにかく一杯写真を撮るんですけど、その中からドローイングにできそうなものをどんどん作っていきます。で、それを立体とか、インスタレーションとかに変換していきます。

(台南、Soulangh cultural park galleryでの展示風景。2017年)

以上です。

鈴木(雅):
今回出品している作品は、ドローイングと立体作品っていう形ですよね。
瀬戸展のときは、悠哉くんはドローイングだけの構成で展示をしていただきました。
今回の札幌の展示は立体も出品されるということで、そのあたり内容も変わってきている、というのも思います。
拝戸さんからなにかあれば。

拝戸:
今見ている写真だと、インスタレーションだけの展示だけど、今回の展示はドローイングと立体の両方あることによって、割とうまい相乗効果がでていると思うんですけど、これまでも両方まとめて展示することはあったんですか?

鈴木(悠):
この構成は初めてです。

(撮影:我妻直樹)

本当にベースとなるドローイングと、立体、という二重構造は初めてで。
なのでちょっと、二つの要素があるなと思っていて。一個はドローイングのイメージの、都市から抽出したイメージの集積が見えるのと、ある種レイヤーみたいな感じで見えるのと、実際これが立体化されると、そこにまた場所というか、インスタレーション的な要素がまた生じてくるので、その二つの要素が見える形にはなっているな、と思います。

拝戸:
元になった写真から、立体物とドローイングが出てきたのか、ドローイングから立体がでてきたのか、
そのプロセスはどうですか?

鈴木(悠):
完全に、ほとんど、ドローイングの作業を最初にやっています。

拝戸:
ドローイングを最初にやった段階から、立体物が出てきた?

鈴木(悠):
そうですね、一回ドローイングの作業を通さないと、厳しいことが多いんですけど、写真から、そのままドローイング通さずに立体に起こすとか、そういう経路も考えたいというか、まだやったことはない。

拝戸:
今回は立体物が、ドローイングから、二次元から三次元化された感じがすごいするので、それが今回のユニークな見せ方だったかな、と。実験的って言っていいと思うんだけど、それができていた形で、面白いな、と思いました。

鈴木(雅):
僕も、今日悠哉くんとお話ししていて、今回ドローイングと立体の展示をしていて、やっぱドローイング強いなと思って、見たときの印象が。
それってドローイングに近づくと見えてくる色鉛筆のタッチの効果が大きいんだと思います。

(撮影:藤井昌美)

立体の方はそういうのが残ってないんですよね、つるっとした感じの表面で、だけどそこの空間には存在しているということになっていて、なんか不思議な存在になっている。
悠哉くんと話してたのが、ちょっとゴースト的な存在なんじゃないのって話をしていて、やっぱりドローイングの複製とかコピーっていう感覚が強いみたいで、僕はゴースト感?ちょっと幽霊感があるよね、みたいな話をしてたんだけど、そんなことを今回の展示を見て感じました。立体とドローイングが並んでいる状況がよりそう感じさせたのかなと思います。

で、じゃあ次山本君、展示作品についてお願いします。

山本:
山本です。それぞれ平坦な透明層を8層から10層くらい重ねてて、層の中でモチーフて言えるかどうかわからないですけど、円形を複雑に交差させる、っていう作品を作っています。
ちなみに僕は瀬戸展と今回は同じ構成で作品並べてますが、みんな新作持ってきちゃって、しまった!と思ってます。巡回だって言ったのに、、(笑)

(撮影:藤井昌美)


(撮影:我妻直樹)
どうやって作っているのかというと、割とベーシックに、キャンバスにアクリル絵具を重ねていて、透明層の部分は本来アクリル絵具に混ぜる用途で使われる、ジェルメディウムという、絵具の粘度や透明度を調整するためのものを直に筆で厚塗りして、乾いたら研磨してはペインティングナイフでまた筆跡をメディウムで埋めて少しずつ平らにして、という作業で1層作る。1層作ったら、丸を描いて、ある程度描いたら、また1層塗って、乾いたら研磨していく。そういうプロセスで作ってます。

なんで8層とか10層とかっていうと、自分の欲しい空間ってのがあって、それが出てくるのがだいたい8層から10層くらいだからです。欲しい空間が出たら6層で止める時もあるし、出なかったら追加するということもあります。

僕の作品の構造上、前の層に戻る、ということができないので、うまくいかなかったらひたすら層を追加していくことになります。

なんで円ばかり描いているかというと、具体的なモチーフが、自分の絵画を研究していく中で見つけられなくて、物事の関係性だとか、目には見えない存在だとか、そういう事柄や現象が自分のモチーフなんじゃないか、と考えて、そういうものを一番代入しやすいのが円っていう形だったんですね。

円ってすごい根源的な形で、誰でも知っているというか、強いモチーフでありながら、特別な意味をいろんな風に与えられるっていう、キャパの広いモチーフであり、散々使い古された形でもあるんですけど、単純に自分の考え方を投影するのに、フィットしていた。

例えば直線とか三角とか四角とかを使うと、画面の中に線の方向とかが出てきて、コントロールしなきゃならない。
それは僕がいまやりたい問題点とは違う問題点になっちゃうので、
余分な要素を排除できる便利なモチーフだったりという側面もあります。

円もただ円を描いているだけじゃなくて、円と円を交錯をさせる際のポイントみたいなものがあって。
最近はプロセスを全部写真に撮って、フォトショップに落とす、ってことをやっています。
そうすると自分がどういうふうに円を交錯させているかよくわかる。

これはいま別の展示に出してる作品のものですが、構造が見やすいので参考までに、
まず1層目で透明層もない、キャンバスの上に円を描いた状態です。

1層目の段階で、円と円との重なりが半透明に見えるように、全部不透明な絵の具で描くと。ようするにイリュージョンというか、絵の具の色の差による、嘘の半透明を描いています。

で、透明層を塗って平らにした後の次の層。1層目を描いたときには全部不透明で色のついた円なんですけど、2層目では画面全体に薄いピンクみたいな色をかけてます。

薄いピンクをかける前に、マスキングインクっていう道具を使って、塗ったところを後から剥がせる、ていうインクがありまして、それでまず、何個も透明な円を描くんですね。

いくつか円を描いたあとに、薄いピンクを全体にばーっと塗って、その後にマスキングを剥がす。そうするとこういう風に、前の層に半透明なベールがかかった状態で、円の部分はピンク色がくり貫かれているので、下の層がそのまま見える、構造になります。

次の層ではまた、色のついてる不透明な円をこういう風に重ねるんですけど、

いくつかの円は今まで描いた円と重なったときに、強弱関係とか、主従関係とかが発生するように描いている部分があるんですね。例えば、真ん中あたりの紺色の円はすぐ上の円に隠れているように、えぐられているように描くんですけど、実際の層の番号としては、紺の方が上層にある。なのに、下層描いた円にえぐり取られている。本来であれば、下層の方が隠れるんですけど、関係を逆転させてます。

あとは、その右側の同じような大きさの赤い円も他の円に侵食されているんですけど、ここでは2層目に描いた透明な円にえぐられる。このえぐられるパターンというのをいっぱい潜ませてて、例えばここの赤とグリーンと茶色と、かなり大きな円を形造っているんですけど、実際に見えるのはこことここ、ここの3箇所だけで、実際は大きいけどほとんど見えない円を内包させる、という空間を作っています。

、、こんな感じの繰り返しで、どんどん円と円の重なりパターンと層の関係を複雑にしていくことを考えています。

そうすることで、円と円との関係が簡単には語れなくなるというか、例えば4層目と8層目はかなり離れているのに、円がえぐられることで、その部分だけ離れた層の関係が一気に密接になるとか、重なっているけど形が侵食がされているほうが色の関係が強くなったり、関係のバランスをめちゃくちゃにしたい。めちゃくちゃなんだけど、ある意味で自分が空間のバランスを統制しているとか、そういうことを絵の中でやってるんですね。

こういう絵を自意識を持って描いている以上、自分が現実世界に生きている中で、それを反映させてないと、こういう絵を描いている自分が嘘をついていることになるので、円を自分の人間関係とか、社会の立ち位置みたいなものに勝手に代入したりして、このえぐられている円が自分だとか、ちっちゃくて強い色の円も自分だな、とかそういうふうに考える装置になったりしてるんですね。

絵って理論だけではなくて、勝手にこの色とこの色がたまたま結びついちゃって、ぼくのコントロールしているバランスを崩すこともあるんですけど、そういう要素を絵の中から見つけたら逆に、色で崩れたみたいな部分を、現実の世界でも見つけられないかな、みたいな。そういう発想になったりして。

あるいは、世界ですごい理不尽なことが起こったら、絵の中にもすごい理不尽なことを入れないと僕は嘘をついてることになるとか、そういう発想法にどんどん描いているうちになっていって、今もそういうことを続けているような状態ですね。

僕にとっては、絵画というメディアというか、行為というか、そういうのが美術のジャンルの中でもすごい面白いんですけど、半分面白くて、半分疑っている部分があるんですね。

絵画って、アトリエで引きこもっていて、自分の世界を創出できるので、すぐに閉鎖的になってしまうと自戒を込めて思っていて、その閉鎖的な部分に足を踏み入れないように、なんとか自分と絵画と、自分と外の関係を全部スイッチさせたいとか、考えてます。そういうとこも絵画という考え方とリンクさせたくて、絵画っていうものに絶対性を与えないとか、そういう感じですね。

鈴木(雅):
はい、ありがとうございます。
今回工程を見せていただくっていう形だったので、面白いなと思って見ていたんですけど、山本くんのプロセスっていうのは、一層ずつ考えながら作っていくのか、それとも最初から全て決まった状態のものを、設計図みたいなものがあって、それを一層ずつ重ねていくのか、どちらですか?

山本:
作品によってばらけさせているんですけど、結局プロセスが違うことで全く違う地点に行くので、今見せた絵は、ほとんどなにも考えないで全部、次の層にいくたびにその都度の思いつきで円を置いていきました。

でも例えば今展示している大きい作品は、

(撮影: 我妻直樹)
ちょっとだけルールを作っていて、縦構図なんですけど、縦構図に連動するような縦の見えないラインを大きく作るってのを決めて、見えない直線上に、中心軸が同じように円を並べている場所があって、そっからどうやって画面を散らしていくか、縦軸に絶対性を与えないようにどうするかみたいなのを決めて、そのルール以外は割とライブ感でやってます。

逆にフォトショップで全部最初から作って、それを順番に描いていくような、最初にプロセスをがっつり作ると、大抵うまくいかなくてワクワクしないので、途中でそれが崩れたりするほうが多いです。

鈴木(雅):
さっきの話で、自分の制作は、時間軸が積み重なっていくから後戻りはできない、みたいな話があったと思うんですけど、例えば今の話の中で、プロセスを決めずにやる場合とか、途中でプロセスを若干放棄するとか変化を受け入れながら作っていく場合、失敗することもあるのかなと思うんだけど、失敗した場合後戻りできる制作スタイルではないから作品が完成しないていう場合もあるんですか?

山本:
あんまり失敗しないんですよね。途中のプロセスで、8層で終わる予定のものが7層目くらいで失敗することがあっても、追加で3層くらいやれば結構カバーできるケースが多いです。
だから明らかに失敗作品ていうのは、学生時代はたくさんありましたけど、今は殆どないです。

鈴木(雅):
あ、だから失敗っていうのも、戻るわけじゃなくて、一定時間のなかで失敗をリカバリーしながら、絵を仕上げていくっていう流れで進んでいくってこと?

山本:
そうですね。僕、できるだけポジティブに人生観を捉えたくて。
絵の中の失敗って「自分の悪手」とか「理不尽」という要素にもなってくるんですけど、例えば、大きな災害が起きて、これで俺たち終わりだ~ってなるんじゃなくて、僕が生きてたらなにかしら行動ができるじゃないですか。絵の中でもそういうことをしたい。大きな理不尽が画面の中で起こっても、その理不尽に対して、どんなアクションがとれるのかっていうのをシミュレーションとしてやるので、どっかで折り合いをつけるバランスを見つけられたら、完成かな。

拝戸:
幸福な間違いっていうのはありますか?
ここ失敗したんだけど、想像しなかったんだけどうまくいっている。

山本:
あ~いっぱいありますね。

拝戸:
予想しなかったんだけど、うまくいってる、という。失敗とみなさないわけですよね。

山本:
そうですね。

鈴木(雅):

ありがとうございます。
これで4人全員、今回の展示作品含め、自分の制作、作品についてお話をいただきました。

 

第3回に続く→