naebono Talk 01 – 進藤冬華「アメリカ滞在報告 & 札幌で制作活動を続けること」-第2回[「私が見た美術」及び「美術史」について]


進藤冬華
「アメリカ滞在報告 & 札幌で制作活動を続けること」

聞き手:山本雄基

2018年1月7日

この対談は、2018年1月7日にnaebonoにて行ったトークイベント『進藤冬華「アメリカ滞在報告&札幌で制作活動を続けること」』の内容を元に、ウェブ用に新たに加筆・修正を加えたバージョンです。
全5回に分けて掲載します。


第2回[「私が見た美術」及び「美術史」について]

キーワード「私が見た美術」
進藤:
じゃあ、滞在中に行った展覧会とか美術関連のイベントについて話します。
今回は私のケプロンのプロジェクトより、美術の事を中心に話そうと思っているので、
私の作品より、自分が観た展覧会とかを紹介して、そこから話を膨らまそうと思っています。

最初これから、『Art and China after 1989』。
この展示すごく面白くて。1989年から2008年までの、中国の美術の歴史が語られていて、
時期的には中国でアーティストが表現をオープンにできずに隠れて活動をしていたところから、
2008年のオリンピックで中国の美術が公共の場で影響力をもった時期までのことを歴史として定義しようとする展覧会だった。
社会と関わる様々な作品と、その変遷追う充実した展示でした。
一方で私がこの展覧会をみて、不思議に思ったのが、この歴史の定義付けはこの美術館とキュレーションチームや参加アーティストで多分決めているのだろうけど、何で中国の美術史をアメリカの美術館が提案するのかなとも思ったんです。
展示が面白かったことと、この疑問を持ったことで、今回この展覧会を取り上げることにしたんです。
それで、誰が美術の歴史を決める権利を持っているか、ということについて疑問に思って、たぶんそれってグッゲンハイム美術館でやっていたから疑問に思ったんだと思うんです。同じ展覧会が札幌であっても同じように感じないと思うんですよね。
これは私が印象に残った展覧会の一つです。
グッゲンハイム美術館 [Art and China after 1989]

山本:
なるほど。推測ですが、中国国内では歴史プロパカンダ的な制約がある以上、
アメリカの力を借りて歴史化してもらうことは、
優れた中国の作家達にとっての願いであり、明確な狙いでもありそうですよね。
ガンガン大きな美術史に合流する意志も強そうな印象ですし。

進藤:
それは良くわかります。実際、現地で知り合いとこの展示について話をしたときに、中国で全く同じ展覧会ができるかどうかはわからないという話をしました。
今思うと、山本君が言う通り、国外で展示をすることになるのは自然ですよね。
そうだとしても、展示を見たときは形としてはアメリカの美術館が中国の歴史を決めるというふうにも見えて、
誰が歴史を決める権利を持ってるのか疑問を感じたんです。

山本:
誰かが歴史を決める権力を持つことに対する懐疑心自体が、ここでは大事な点だと。

進藤:
そうですね。そういう考えが自分に浮かんだことが新鮮だったというか。
じゃあ、次のに行きましょう。

フィリピンのアーティスト、Aze Ongの展覧会です。
彼女もACCのグランティーで、私が滞在している間、ほぼ一緒の期間をすごしました。
毛糸を鍵編みで作品を作っているアーティストです。
彼女は美大とかに行ってなくて自分で作品づくりを始めてて、
西洋の美術の歴史とか慣習のようなものから離れたところで独自に制作を進めてきたアーティストなんだけど、
現在はギャラリーと仕事をしていてアーティストとして自立しています。
彼女が身近にいて、オリジナルな自分の作品を信じて制作を押し進める力強さを感じることができたことは私に大きな影響を与えたと思う。

山本:
彼女は基本的には、自分の国のローカルな場所に住んでいるんですか?

進藤:
いや、マニラがベースです。国内外の美術館等でも展示もやっているようです。
画像はAzeがTopaz Artsっていうノンプロフィットのギャラリーで2人展をしたときの様子。

フィリピンのアーティストAze Ongの作品
で、次はKara Walker(カラ・ウォーカー)。
ニューヨークがベースの方です。
この写真はSikkema Jenkins & Co.っていうギャラリーのオープニングの様子なんですけど、
彼女は黒人系の女性アーティストで、黒人の差別や負の歴史を題材に作品を作っていて、
物語の一場面に見える黒い切り絵を直接壁面にはりつけるような作品知られていると思います。
この日はチェルシー地区でギャラリーが一斉にオープニングを行っていたんですが、
このギャラリーが訪れた中で一番混んでいたし、Kara Walkerの作品は滞在中、色々な場所でみる機会があった。
こういう風に、多くの人が彼女の作品を見る現場を目の当たりにして、
作品が歴史化されたりトレンドになって行くことの現場のリアリティがこういう感じなんだとしたら、
過去にニューヨークで起こった歴史的場面のことを想像できる気がしました。
Kara Walker(カラ・ウォーカー)の展覧会の様子
進藤:
次はLaura Owens(ローラ・オーウェンス)。この方は画家かな?

山本:
そうですね。ロサンゼルスがベースの画家です。

進藤:
彼女の展覧会が丁度ホイットニー美術館でやっていて、美術館のサイトに色々な作品が公開されているので、それを見てみましょう。(展覧会のページはこちら
彼女の作品は、すごくたくさんの絵画の歴史や引用が入っていて、見所がたくさんあるんです。
こういう引用や歴史を組み合わせて新しい作品を作ることって、美術の中では普通の事ですけど、その必然について考えさせられたんです。
彼女はアメリカ人で、ロサンゼルスっていう美術の歴史が積み重ねられた現場にいて作品を制作しているから、引用することの必然性や洗練された感じがあるんだと思う。
楽しい展示でした。

●Laura Owens(ローラ・オーウェンス)の作品
その次は、Performa17(パフォーマ セブンティーン)。
これはソーホーの歴史や現在の状況を空き物件を紹介しながら歩き回るツアーで、このツアー自体がアーティストの作品だった。
この写真は、ゴードン・マッタ・クラークが「フード」っていうプロジェクトをやった場所です、ってことを紹介している場面です。
このツアーに参加してみるとソーホー自体、美術の語りぐさになるようなことが起こった現場感があるんですよね。
これは山本君が以前言っていた、ニューヨークにもローカル性がありながら、同時にその外まで影響力がある場所っていうことと繋がっていて、
フードって有名な話だけど、日本の札幌にいる私はその話だけ知ってて、臨場感やそのリアリティはないんです。
でも、現場に行くとその当時の熱気やその出来事が大事にされていることは感じ取る事ができるんですよね。
Performa17でのツアーの様子。ツアー自体がアーティストの作品
これは村上隆の個展で、シカゴ現代美術館。
この展覧会はここの美術館の中で過去最高の入場者数だったそうです。
すごい混んでて、美術が大衆化される現場とはこういう感じなのかなと思いました。
シカゴ現代美術館での村上隆の個展
これは、Mark Dion(マーク・ディオン)のトークの様子です。
大学、美術館などで一般公開のアーティストのレクチャーシリーズは結構いきました。

山本:
今の話聞いてて感じたのは、
ただ向こうに行って、「わ~すごい」っていうんじゃなくて、自分のまず作家の立ち位置、
札幌から向こうに行った、という立ち位置がベースになった視点になっているところ。
中国の美術史がアメリカで作られる事に対する違和感とか、
フィリピンから出てきている作家との心の振動の共有とか。
あとは僕らが一般的に覚えるような美術史がニューヨーク周辺にあって、それを引用する事の必然に対しての反応があったりとか。
そんで進藤さんが作家として、それらに対する向き合い方を図っているように見えるんですよね。
ここ、大きなポイントなんじゃないかな、と今聞いてて思いました。
ピックアップする展示はこれくらいかな?
ここらへんで次の、美術史っていうキーワードに繋がっていきますね。

Mark Dion(マーク・ディオン)のトークの様子
キーワード「美術史」

進藤:
西洋美術史とかって学校でも習ったんだけど、私が作品を作るときにはあまりそれを意識してなくて。
実際ニューヨークで美術史と関わるような有名作品を見たんですが、札幌在住の私から見て「私の属しているものではない」という感じがして、距離を感じました。
さっき挙げたLaura Owensの話だと、彼女にとっての必然性が歴史や臨場感が生まれている場所をベースにしていることで生まれていると思うし、美術史って制作活動をする限り、ついて回るものかもしれないけど、私の立場だと、それは押し付けられたものなんじゃないか、と感じることがある。

山本:
同じ札幌で活動する僕の場合だと結構ちがって、
僕は最初美術を始めたときに、「美術」っていうものが、あまりにもわからなくて。
「自己表現」と「美術」の差を埋めるために、
元々用意されている教科書的な美術史を勉強する事で、自分の意識の中に「美術」を形作っていったんですよね。
そして特に西洋美術史の歴史が、絵画の歴史とリンクして行くので、絵を描く上でそこから逃げられないと思った。
そこを押さえなければ、絵を先に進められない、という感覚が先にあったんですよね。
僕が扱ってるのが絵画だから、っていうのもあると思います。
なので自分の場合は、しばらくは西洋美術史をなんとなくリアルなものとして捉えつつも、
いざ西洋に住んで色々見て回っていると、ニューヨークやヨーロッパの現在進行形の問題群を、
札幌で活動する僕が疑いも無く引き継ぐ必然ってなんだろう、っていうズレの感覚もやっぱり出てきた。
じゃあ先に意識化しちゃった大枠の「美術」とそのズレをどのように咀嚼しながら自分の作品にしていくか、
っていうアプローチになるんですよね。

進藤:
うん、うん。

山本:
進藤さんの場合は、そもそも西洋美術史が不特定多数にむけられた、あまりにも大きく共有されている情報だから、
進藤さんが意識していなくても、作家活動をしているだけでどんどん勝手に情報が入ってくると。
さらにニューヨークに行くと、それがリアルなものとして、体感としても入ってくる。
そこに違和感がずっとある、ということですよね。
美術史をベースにしていないという意識をもっていても、
美術史は割と強制的というか、圧となって進藤さんにかかってくる、という。

進藤:
うん。例えばある時、もっとしっかり美術史のこと見てみようと思って、
本とか読んでも途中で、つまらなくなってやめちゃったり…(笑)
そこを行ったり来たりするのは、リアリティのなさとか自分の事として考えにくいって部分に原因があるのかな。
山本君が言ったように、自分と相対化するために西洋の美術史を観ていく、というやり方だと、もっと色々あるのかもね。

山本:
それって作家ごとにバランスを決めなきゃいけないことで、どれが正解っていうわけじゃないと思うんですよ。
だから自身の歴史軸を持つ、作る必要があると思ってます。
今回の進藤さんの場合だと、美術史に寄りかからなくても、作品を美術として作れるっていう確信というか、
方向性がリアルな感覚としてあるんですよね。
だから、フィリピンの全く美術教育を受けてこなかったアーティストに、勇気付けられるところがあったわけですよね。

進藤:
自信を持って、美術の流れを無視したり、自己完結で制作を進めて行くとは言い切れないけど、
私の場合は、北海道のことを作品にしているから、美術よりそこを自分の拠り所にしているんだと思う。
それが私の特徴になる部分だから、美術史からは離れるのかも。
あとは北海道だと、美術より博物館のほうが身近に感じるからかな。

山本:
その辺りは後で他の話ともリンクさせることができそうですね。
では次の話にも移っていきましょう。


>>第3回 [「権力」及び「本流と地方」について]に続く

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